結論から書きます。京都でいちばん贅沢な時間は、たぶんほとんど無料です。
今夜、私は二条城前のラグジュアリーホテルに泊まります。でも今朝の私が乗ってきたのは、横浜発3,000円・座席指定なしの夜行バス。この連載は「3,000円のバスで来て、ラグジュアリーコレクションに泊まる」という落差を楽しむ旅の記録ですが、1本目のこの記事で書きたいのは、ホテルにチェックインするまでの午前中——つまり、誰でも真似できる側の京都です。朝5時の京都駅からお昼の祇園まで、歩いて、食べて、拝んだ6時間。先に言ってしまうと、この日いちばん記憶に残った景色の半分は、この「安い方の時間」にありました。
朝5時10分、京都駅八条口
前夜22時45分、横浜駅東口のスカイビル前からバスに乗りました。3,000円、4列シート、座席は選べません。それでも朝5時10分には京都駅八条口に立っているのだから、移動手段としては満点です。移動の疲れは午後、ホテルの部屋でゆっくり癒やす計画。だから朝は、遠慮なく攻めます。
夜行バスの何がいいって、「早朝の京都」がセットで付いてくることです。新幹線で来ると、どうやっても京都着は8時台。観光客のいない京都を歩ける権利は、実は3,000円のバスの方に付いているんです。新幹線の3分の1以下の値段で、京都の一番いい時間帯の入場券が付いてくる。そう考えると、4列シートは「安い座席」ではなく「早朝京都のチケット売り場」です。
八条口を出ると、空はまだ夜の色でした。タクシー乗り場に数台、コンビニの灯り、あとは静けさ。昼間の京都駅しか知らない人には想像がつかないと思いますが、この時間の京都駅前は、音がありません。
5時40分、第一旭の列に並ぶ
まず向かったのは、京都駅から歩いてすぐの「本家第一旭 たかばし本店」。朝からやっているラーメン屋の代名詞みたいな店です。5時40分の時点で、店の前にはすでに開店を待つ列ができていました。京都の朝は、思ったより早起きです。

頼んだのは特製ラーメン。豚清湯の醤油スープに、チャーシューがこれでもかと重なって、上から九条ねぎ。朝の胃袋に染み渡る、というより叩き起こされる味です。夜行バス明けの体に熱いスープが入っていく瞬間だけは、どんな朝食ブッフェにも勝てないんじゃないかと思います。

ちなみに隣は、これまた京都ラーメンの雄・新福菜館の本店。名店が壁一枚で並んでいるという、ラーメン好きには罪深い並びです。連食できる胃袋を持ってこなかったことだけが心残り。次回の宿題にします。
7時28分、無人の安井金比羅宮
腹ごしらえのあとは、東大路通をのんびり北へ。目指すは東山の安井金比羅宮です。ここには毎年お参りに来ています。
着いたのは7時28分。参道に、人がひとりもいませんでした。日中は形代を書く順番待ちすら発生する「縁切り縁結び碑」も、この時間なら貸切です。毎年通っていると分かるのですが、この神社の空気は時間帯でまるで違います。人で埋まった昼の境内が「行事」だとしたら、無人の朝の境内は「対話」。年に一度の定点観測をするなら、朝に限ります。

作法はいつも通り。願い事を書いた形代を持って、碑の穴を表から裏へくぐって悪縁を切り、裏から表へくぐり直して良縁を結ぶ。最後に形代を碑に貼ってきました。何を願ったかは、書きません。碑に貼った紙の数だけ、ここに来た人の数だけ、事情があるわけです。
龍馬の墓から、京都を一望する
安井金比羅宮から清水寺へ向かう途中、少し寄り道をして京都霊山護国神社へ。ここの墓域(大人300円)には、坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓があります。
墓前に立つと、京都の街が一望できます。龍馬が死んだのは慶応3年、享年33。38歳の私より若くして、この国の行き先を変えた人のお墓から見えるのは、彼が見ることのなかった150年後の京都です。電車が走り、タワーが建ち、外国からの観光客が坂を上ってくる。この景色を報告できるなら、墓参りには意味があるよなと思いながら手を合わせました。

8時台の清水寺と、覚えていない修学旅行
8時台に清水寺へ。朝6時開門、拝観料は大人500円です。この時間でも境内には修学旅行生の白い帽子の列ができ始めていました。

実は私も、中学の修学旅行でここに来ているはずなんです。はずなんです、というのは、当時の記憶がまったく残っていないから。仁王門も舞台も音羽の滝も、思い出そうとすると出てくるのは班行動のしおりの表紙だけw。せっかく京都に連れてきてもらって何を見ていたんだ中学生の私、とは思いますが、まあいいんです。覚えていないなら、38歳の今日が実質の初回。拝観料500円で初回をやり直せるなら安いものです。
奥の院まで歩くと、本堂と舞台を横から望む定番の構図に出会えます。よく見ると、舞台の向こうの市街地に京都タワーが立っている。1964年生まれ、高さ131mの昭和の塔です。清水の舞台という「江戸の建築」の先に「昭和の塔」が見えるこの一枚は、京都という街の時間の積み重なりをそのまま写している気がして、この日のベストショット候補になりました。



転んではいけない坂、産寧坂
清水寺からの下りは、産寧坂(三年坂)から二年坂へ。10時台でもまだ人はまばらで、ほぼ無人の石畳を独り占めできました。昼過ぎには身動きが取れなくなる坂だと思うと、これも早起きの配当です。
この坂には「転ぶと3年で死ぬ」という物騒な言い伝えがあります。かつてこの道が鳥辺野という葬送の地への道筋だったことから生まれた俗信だそうで、坂下の土産物店では厄除けのひょうたんが売られています。転んでもひょうたんを買えば帳消しにできる、という救済措置つき。石段は今も昔もよく滑るので、言い伝えというより実用的な注意喚起だったのかもしれません。ちなみに「産寧坂」という表記は、清水寺の子安塔への安産祈願の道だったからという説が有力だそうです。
坂を下りきったら、二年坂からねねの道、下河原通を抜けて四条通へ。このルート、朝のうちは店がまだ開いていない分、街並みそのものを見ながら歩けます。
なぜ修学旅行は京都なのか
ところで、清水寺で見たあの白帽子の列は、いつから京都の風景なのか。調べてみると、これがなかなか歴史のある話でした。
昭和34年(1959年)、修学旅行専用電車「ひので」(関東発)と「きぼう」(関西発)が走り始めます。戦後の子どもたちを乗せた専用列車が向かった先が、京都と奈良でした。京都は小規模な空襲こそ受けたものの大規模な戦災を免れ、寺社がそのまま残った街。焼け野原からの復興期に「本物の歴史をそのまま見せられる教室」は、ここにしかなかったわけです。
その流れは今も続いていて、京都市の統計では、京都を訪れる修学旅行生は今も年間約67万人。私が今朝すれ違った白帽子の列は、67年前から続く風景の最新版だったことになります。自分の修学旅行の記憶は失くしましたが、風景の方はちゃんと続いている。なんだかそれで十分な気がしました。
11時22分、いづうの京ちらし
午前の締めは、祇園の「いづう」。四条通から切通しを入った先にある、天明元年(1781年)創業の鯖姿寿司の老舗です。白いのれんの構えは、観光地のど真ん中とは思えない静けさ。11時の開店直後、11時22分に着いた時点ですでに満席。少し待って通されました。

当初はテイクアウトの予定でしたが、席に着けるなら話は別です。予定変更して、店内で京ちらしをいただきました。錦糸卵の上に海のものが行儀よく並んだ、箱庭みたいな一折。朝からよく歩いた体に、酢飯の甘さと酸味がちょうどよく効きます。

名物の鯖姿寿司は1人前3,240円、1本だと6,480円。今回は京ちらしにしましたが、次回のためにメモしておきます。面白かったのは店の方の説明で、鯖寿司の保存は冷蔵庫ではなく常温——18〜23℃くらいが最適なのだそう。昆布と酢で仕立てた寿司は、冷やすと米が固くなってしまう。240年以上続く店の「冷蔵庫を使わない」という判断には、妙な説得力があります。
午前の部、終了
朝5時10分に京都駅に降りてから、ここまで約6時間。第一旭、安井金比羅宮、龍馬の墓、清水寺、産寧坂、いづう。使ったお金は、バス3,000円にラーメンとお寿司と拝観料を足しても、今夜のホテルの何十分の一かです。それでいて、無人の参道も、貸切の産寧坂も、この時間にしか存在しない。
さて、ここから物語は反転します。14時、二条城前。3,000円のバスで来た男が、元禄時代の門をくぐります。続きは【1日目・夜】で。
お邪魔しました。
シリーズ:夜行バス3,000円で行く、HOTEL THE MITSUI KYOTO
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